はじめまして、逸高等学院の代表 小川涼太郎です。まずは本ページを読んでいただいたことに感謝申し上げます。
逸高等学院は「子供たちが人生のビジョンを見つけられる学校」として開校しました。
私にとって人生のビジョンとは、「こんな人間になりたい!」「こんなことをやりたい!」と湧き出てくる心の声だと思っています。
私は、今の日本社会に強い危機感を感じています。自分の人生にビジョンを持って生きている人があまりにも少ないからです。
常に周りの目を気にして、他人と比較して、自分のやりたいことが何かも分からず、ただ過ぎ去る毎日に疲れ、消耗している人がほとんどではないでしょうか。
私は、このような日本社会を作り上げてしまった根本的な原因が学校教育にあると考えています。
あなたは「なぜ勉強しなければならないの?」という問いに答えることができますか?
よくある答えに「勉強をして良い大学に行ったら安定した企業に就職できるから」というものがあります。
確かに今の日本では、そのような傾向はあるでしょう。
では、「安定した企業に入ることはなぜ幸せなの?」という問いに対する答えはどうでしょうか?
「良い企業に入って、安定した給料をもらって生きていくことが幸せだから」と、そうはっきりと答えられますか?
それが、子供にとって本当の幸せであると心から言えるのでしょうか?
失礼を承知ではっきり言います。そんな時代はもうとっくに終わっています。
大前提として、人それぞれ幸せの価値観は違います。
その人の幸せを他人が決めることは絶対にできません。
例え親であっても、先生であっても、その答えを見つけることはできません。
答えはその人の中にしかありません。
しかし、この世の中はまるで、幸せは誰かによって決められているかのように語られることが多いです。
- 良い大学に行くことが幸せ
- 安定した仕事に就職することが幸せ
- 年収が高いことが幸せ
- いい家に住むことが幸せ
- 結婚して家族を持つことが幸せ…など
みんな、知らず知らずのうちにそれが自分の幸せのように感じてしまっているのです。
本来の幸せとは、人それぞれ違うはずです。なぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか。
答えは単純です。生まれて此の方、誰もそんなことを学んだことがないからです。
今まで学校で、自分にとっての幸せが何かを考える時間なんてあったでしょうか?
きっとそんな授業を受けた人は誰もいないでしょう。
それは、残念ながら今の学校が「国にとって都合の良い人材を生み出すための養成機関」だからです。
本来学校という機関は、子供たちのためにあるものではないでしょうか。
子供たちが幸せに生きていくためにどうすれば良いか?それを学ぶ場所が学校であるべきだと私は考えています。
でもそんな学校はどこにもありません。だから私はこの学校を作りました。
学校の名前は「逸(いち)高等学院」と名づけました。
”逸”という漢字には、以下の意味が含まれています。
- 予想されていた進路とは別の方向へ進む
- 横にそれて逃れる
- 主要な道筋からはずれる
- 規則にとらわれず気ままにする
- 世間的な枠を抜け出て優れている
”逸”という漢字になぞらえて「枠を超えて、自分の信じる道を歩んでいける人になって欲しい」という願いを込めました。